彼を偲んでブログに書くことも供養だと思ったので書かせていただきます
ダイスケは私よりも10才くらい年上でいつも「俺はマサヤンの後見人だからな」と言っていました
フェンシングスクールのメンバーになって30年以上でした
横浜と熱海をこよなく愛していて汚いけど美味しいお店をいっぱい知っていました
物欲がなく「これって本当に人が住めるの?」と心配になるほどのあばら家に住み、車はおんぼろのカローラで運転席のドアだけ塗装もしていない代物でした
でも、お洒落だったなあ・・
カウボーイブーツにGパン、ヨークのついたネルのシャツを着て羽飾りのついたステットソンを被って練習にきていたっけ・・
今日のレッスンが終わってからダイスケに可愛がってもらっていた弟子たちと逗子マリーナへいってダイスケの話をしながらお酒を酌み交わします
逗子マリーナの会員権もダイスケの奥さんのミッちゃんが弟子たちにくれたものです
死んじゃうといい人になることがほとんどだけどダイスケは生きているときからいい奴でした
ホントのことを言えばもう少し私の生き様をみていて欲しかったな
今夜の顔ぶれはいつもと変わらないだろうけどメモリアル飲み会になるだろうな
こんな話を読んでくれたことに感謝します
またね